*This article is Japanese only. I may be posting the English ver. in the future.
私は小学生の時にデザイナーになると心に決め、高校に入学する頃にはデザインの仕事を受注するようになり、クラブフライヤーのデザインやCDジャケットのデザインなどを夢中で制作しました。
卒業後は様々なデザインを経験し、プロデザイナーとしてもう20年以上が経ちました。もしその頃に出産していたら子供はもうとっくに成人してる年月が経っています。気がつけばすっかりベテランデザイナーの領域に入った私にとって、「デザインとは何か」を考えたいと思います。
デザインの価値変化
『デザイン』の価値はこの20年で大きく変わったと思います。それまで、デザイナーといえば、社内の変わり者として扱われ、安月給、残業が多い、不健康、などのネガティブイメージを持つ人もいる中で、何とか『デザイナーはかっこいい』という自己暗示みたいなもので肯定していく、という残念な職業と私は認識していました。会社勤めが性に合わずフリーでデザイナーをするもストレスが祟ったのか急にカフェやブルワリー経営に走る同業者達を何人も見送り、生き残ったデザイナー同士でクライアントの愚痴を言い合うという職種、それがデザイナーでした。
デザインは思いやり
ところが昨今のデザインブームに見られるようにデザイナーという職業に変化が現れています。デザイナー自体は変わっていないのですが、社会におけるデザイナーに対する風潮が変わりました。
IDEOがイノベーティブカンパニーとして注目を集め、創立者がスタンフォードにd.schoolを設立したあたりからデザイナーの価値がグンとあがります。Appleの成功に見られるように、デザインはビジネスにおいて重要なんだという意識が真新しい発見のように騒がれはじめ、世界の一流大学にデザイン思考やデザイン経営の授業が導入されるようになりました。MITにもIntegrated Design and Management (IDM)というマスタープログラムが設けられ、私もデザインとビジネスを学び直したいと思い2020年に入学、デザインとエンジニアリングとマネージメントを包括的に学ぶ2年間の修士課程を終え2022年に卒業しました。世界中から集まった目をキラキラさせたエネルギッシュで優秀な若者達と共に、酸いも甘いも嚙み分ける熟練デザイナーである私が肩を並べて学んで得たものは何だったのか。グループプロジェクトに頭を抱え、なぜお金を払って仕事を断ってこんなことをしているんだという思いを押し殺し、子育てが蔑ろになる後ろめたさも相俟ってもう辞めちゃおうかという思いもありつつ、卒業まで学費分を最大活用しようと教授にも疑問をぶつけ、ディベートを重ね、『デザイン』について色んな角度から見つめてみた結果、一周回って私なりにたどり着いた答えは『デザインは思いやり』ということでした。これはGraphnetwork設立当初から共同創業者である桜田が口にしていたことで、大学院まで行って学んだことではないのですが、一度現場を離れて大学院でデザインを研究したことで確信を得ることが出来ました。
流行りのデザイン思考と私の思うそれ
資本主義的に『デザインは思いやり』だけではデザインの価値を高めてもっと利益を生むことが出来ないので、『デザイン思考』や『人間中心デザイン』と新しいバズワードを作ってはフレームワーク化して特別なものに仕立て上げ、もっと良いもの、もっと効率よく、もっと儲かるようにと貪欲に改善を重ねているのが最近のデザイン事情。でも『もっと』の行き着いた先はどこなのか?もう十分ではないか、と思うことは資本主義社会では悪になってしまうのか?イノベーションは本当に必要なものなのか?と、とにかく正解のない質問に悶々としながら日々を過ごしていて、『デザインについて』といった大きすぎるテーマをまとめることは私には難しいのですが、いわゆる『デザイン思考』と私の思うものにはギャップがあって、IDEOやd.schoolやIDMが教えることをそのまま鼠講の子会員のように自信を持って伝えらたらいいのですが、どうも納得できない部分や共感できない部分もあるというのが本音です。大成功を収めているデザイン会社や最前線の教育機関を否定する気はもちろんなく、それらの方法で成長できるプロジェクトも多々あると思いますが、私の目指すところはもっと地域密着型の、利益重視ではない、言ってみればユニークな極小プロジェクトの成功の連続なので、無理にフレームワーク化せず、ひとつひとつ思いやりを持って取り組んでいく、という方法で引き続きデザイン制作をしていきたいと思っています。
いわゆるデザイン思考
では、いわゆる『デザイン思考』の考え方とは。ものすごく簡素化すると、こんな感じ。
1.使い手への共感 (Empathy)
2.問題定義 (Identifying the problem)
3.アイデア出し (Ideation)
4.プロトタイプ作成 (Prototype)
5.テスト (Test)
そしてその繰り返し (and repeat)
実際私もこれに近いようなことをこれまで自然とおこなってきたわけで、そんなに目新しいことでは無いのですが、この『画期的』な方法によってイノベーションが生まれるんだそうです。ありがちなサクセスストーリーはこんな感じ:
靴のメーカーが革新的な商品開発を目指す。
お年寄りをターゲットとする商品に着目し、まずはお年寄りの気持ちになって色々と考えてみる。お年寄りにも直接話を聞いてみる。そして着脱が困難であることがペインポイントとして浮かび上がる。履きやすく脱ぎやすいものにするために特殊なマジックテープが採用される。何度もプロトタイプを作り、お年寄りにも実際履いてもらって改良していく。気がつけばなんとまあ、革新的なお年寄り向けの靴が完成する。多額のプロモーション費用と極太コネクションによってあらゆるメディアに登場し、『ギフトに最適』と謳われ、子供や孫がプレゼントとして購入。テレビでは『この靴で人生が変わりました』と満面の笑みを浮かべるお年寄りが映る。靴のメーカーもコンサル会社も販売店もみんなハッピー大成功!
…といった具合です。
一見成功ビジネスストーリーに思えますが、このイノベーションって本当に必要でしょうか?そもそもこの大成功は革新的なアイデアでもなくデザイン思考プロセスのおかげでもなく、結局は大企業の資金力が為せる技であり、中小企業には当てはまりません。実際ものすごいイノベーションを繰り返しているにもかかわらず日の目を浴びない中小企業も存在し、忘れた頃に大手企業が同じようなアイデアで世間を驚かすことも多々あります。
『デザイン思考』はもはや、資金力があって利益に貪欲な大手企業に対して献上されたビジネスの切り札であり、エンパシーやペインポイントの捜索も、利益を生むためのフレームワークの一つであっては本当のエンパシー(共感)では無いと個人的に思います。(デザインウォッシュなんて言い方もします)
デザイン思考においてエンパシーは重要なキーワードであり、思いやりととても似てると思われるかもしれませんが、根本が異なります。実際にデザイン思考におけるエンパシーとは、エンパシーと言えど結局はものを売りたいわけで、買って欲しいわけで、儲かりたいわけで、その人を思いやるんではなくて、『どうしたらこの人(あるいは周囲の人)はお金を払うのか』を探るべく忍び寄るエンパシーなのです。
本当に思いやりをもってこのプロジェクトに参加したとします。お年寄りに話を聞きます。話を聞いて、お年寄りが悩んでるのは靴の着脱が大変な事ではなく、そんな状況でも手伝ってくれる子供や孫が近くにいないことだと理解したとします。話を聞くことの方が新しい靴よりも嬉しかったとしても、それを上司に報告したんでは当然誉められません。イノベーションもなければ利益も生まれないからです。では考えをシフトして靴ではない何か他のサービスを…と模索するビジネスマンもいるでしょう。でもクライアントが靴メーカーだったらそこから離れた提案をするわけにはいきません。靴ではない、子供や孫と過ごせるようなサービスを、と考えたとしても、結局はお金にならなければ資本主義下ではビジネス失格であり、でもそこでお金を徴収するのは何だか違う気がします。要するに、本当に思いやりを持って対応すると、意外と製品化不要なものとかもあったり、デザインだけでどうにかするわけにはいかなかったりするんです。もう社会のシステムを変えなかったり政治に参加したりしなければいけなかったり。
…でもこんなこと言ってしまったら元も子もありませんね。
ではそんな時はどうするか。私は無理に仕事に繋げなくても良いと思っています。クライアントから依頼があっても色々話すうちに、ではこういうことですねとお金をのやりとりが発生せずに終わってしまうことも実はあったりします。でもそれでいいと思っています。そういう経験も次のプロジェクトに活かされたり、それらの経験もひっくるめてデザインであったり。
デザイン思考は、私のように理屈っぽくなく、大企業で上手に渡っていける方々のためのものなんだと思います。私もプロトタイプも作るしアジャイルも取り入れるし、デザイン思考と似た動きをしてるのですが、根本が違うんです。まあものが売れなかったらもう完敗なのですが。